ulpdf’s blog

ゆらゆら、心が揺れる、でもきっと大丈夫。

転機、19歳最後

 

こんにちは。

rinです。

 

少し間があいてしまっていました。

というのも…

 

ずっと更新していると思っていましたが

下書きが増えているだけでした。とほほ

まだまだこれからですものね。

頑張ります。

 

今日のお話は、

「人生の転機」について。

まだ20歳そこらでなにを言っている、

と思う方もおられるでしょう。

安心してください、私も同感です。

 

それでもこれが転機だろうと

言ってしまいたくなるくらい、

私の人生設計や、価値観、

考え方、生活、など色々なものが

大きく変わった出来事が

19歳最後の2か月で起こりました。

 

その出来事とは、

「指定難病」である「潰瘍性大腸炎

と診断を受けたこと。

 

潰瘍性大腸炎とは、大腸の炎症性疾患で

日本の患者数は約16万人、

人口10万人あたり100人程度と

言われています。

 

この病気の原因はまだ明らかになって

いませんが自己免疫反応の異常、

食生活の変化など…が

関係していると言われています。

 

さらに、今の時点では特効薬がありません。

今ある薬では症状を和らげる、寛解期に

もっていく、寛解をキープさせる、

といったことしかできません。

 

なので活動期と寛解期を繰り返すため

波があり、一生付き合っていかなければ

ならない病気です。

 

症状は、下痢や血便、腹痛、発熱、貧血など

さまざまで、日常生活に支障をきたすことも。

 

私が「何かの病気かもしれない」と

感じ始めたのは19歳最後の

2か月目に突入したときくらい。

 

実家に帰省していて、家族でお寿司を

食べていました。

 

詳しくは覚えていませんが

私と弟が食べたマグロが少し、

いや結構赤かったんです。

 

「むむ?」と思いましたが

弟が美味しいと言って食べていたので

気にしすぎかと思い、食べました。

 

でもその夜。

私と弟に、下痢と腹痛、発熱の

症状が出始めました。

 

熱は38度を越え、何度トイレに

行っても下痢と腹痛は止まりませんでした。

 

マグロだろうと心当たりはあったので

内科に行き、尿検査と診察をして

もらいましたが異常はなく。

 

整腸剤と頓服をもらい、帰宅。

弟はその日の夜には回復していましたが

私は熱も下痢も続いていました。

 

私だけもう一度病院に行きましたが

夏だったからか「熱中症」と言われ

また同じような薬をもらい、

その後も症状は変わりませんでしたが

一人暮らしの家に帰る日が来て

帰ってきました。

 

すると1週間、症状が落ち着き

「あ、治ったんだ」と安心していたのも

束の間、また症状が。

 

これはおかしい。

 

一人で近くの病院を転々としましたが

熱中症」といわれるだけ。

血液検査をしても、何もわかってもらえ

ませんでした。

 

最後に「これでダメだったら諦めよう」

と、少し大きな病院へ。

 

もう最初に異変を感じたときから

1か月が経っていました。

 

私は内科に並んでいたのですが、

問診表を見た看護師さんが

「今日は消化器の先生がいるから

そっちで詳しい話を聞かせてくれる?」

と、ずっと付き添ってくれました。

 

この看護師さんのおかげで

私は自分の病気と出会うことが

できました。

 

病気が分かったことで、ほっと安心したの

ですが、それが「指定難病」と聞いたとき

「私はこれからどうなっていくのだろう」

と先の見えない不安に押しつぶされそうに

なりました。

 

正直、1年経った今も

不安はぬぐいきれていません。

 

でも、1年かけてやっと

本当の意味で「受け入れる」ことが

できたと思っています。

 

だからちょうど約1年前、

20歳まであと1か月だった頃、

私は難病患者となったのです。

 

このことがきっかけで

私は変わったし、いろいろな

経験をしました。

 

ブログを書くことにしたのも

そうです。

 

病気になっていなければ

学校とバイト三昧で

ブログを書くという概念すら

浮かんでこなかった。

 

私を良くも悪くも変えてくれた

病気のこと、変わった私のこと、

 

病気だと診断された瞬間始まった

私の闘病生活のこと、

 

病気の私と関わる周りの人のこと、

 

これから書いていきたいと思います。

どうぞよろしく。

 

では今日はここまでにします。

最後まで読んでくださり、

ありがとうございました。

 

rin